客観的かつ理論的な思考を育む

『生きづらさ(AC)』あるある



 ざっくりと表現すれば、客観的とは当事者でない第三者の観点から物事を見て判断するさまをいう。
大多数が納得できるようなことであり、世間の価値観、広く他人の価値観と言ったらいいでしょうか。
すなわち、個人的な考えは抜きになるよね。個人の考え方や価値観は主観的と言います。
 理論的とは、そのまんまで理論にかなっていることを言います。
すなわち原理や法則を基に考えられているということだ。
そうすると当たり前なのだが、説明には筋が通っておりその根拠となりやすいものです。

 なんでこんな硬いネタかと言えば、単純にアダルトチルドレンは情報弱者だからです。
全てにおいて手本にする必要はないのだが、原理原則とは何か? を知っていて損はない。
世の情報を正しく認識(可能な限り)しなければ、アダルトチルドレン思考のままだからです。
・なぜ自分はアダルトチルドレンだと思ったのか? 
・どうすれば克服して治せるのか?
・なぜ自分の環境が悪いのか?
・なぜ自分の努力が報われないのか?
・なぜ自分は人と上手くやれないのか?

 などなど、
自分の主観や感覚を主軸にしていては、いつになっても社会と適応することはできません。
情報弱者というのは先天性ではないわけで、圧倒的に学びが足りないだけなのだ。
だから、沢山学んで、沢山考え、沢山行動して、沢山失敗して修正していくしかない。
面倒なことは嫌なので、別にこのままでいいという方はスルーでお願いします。

 思考が育まれないまま大人になり、結婚して子育てをすれば、
新たなアダルトチルドレンが生まれる仕組みはコレまでに書いてきた通りです。
なので、アダルトチルドレン思考の人を減らしていかなければなりません。
 これはアダルトチルドレンを親から伝承した、ダメジローの使命でもある。
と、内に秘めたヒーローが言っているのだ。

 また、論理的とは論理に適っていることを言います。これは考え方の道筋です。
ダメジローは【客観的、理論的、論理的】思考が、アダルトチルドレンにとって
何かしらの役に立つと考えました。これより先は、思考を巡らせる内容になっています。


例として、事実と真実で説明

 事実と真実は違うものだ。

 事実=客観的に見た時の『唯一の事柄』です。
真実=それぞれの『人の主観に基づいて導き出した結論』です。
これは、同じ場所で複数の人が『体験(事実)』を、それぞれの主観で『真実(結論)』を導く。

 国語辞典によるとこの2つの違いは下記になります。
事実とは・・・実際に起こった事柄。現実に存在する事柄。
真実とは・・・嘘偽りのない事。本当の事。真理。

 補足しますと、
「事実」とは人の意見の介在しない客観的に見た事象そのものを指します。
「真実」とは人それぞれにある主観や考えに基づいた結論や考えを指します。

 花火大会で例えるなら、
・事実は花火が打ち上げられている。
・真実はその花火が『大きい・小さい』という認識に分かれるといった感じです。

 では、普段何気なく目や耳にする情報とは何か?
・事実は『人に役立つ』情報の発信です。
・真実は『お金』か『統制』が関係しています。
ものごとを客観的かつ論理的に見れれば、自分の思考の迷いが低減されるはずだ。
※正しく判断できる思考が身に付けば、何の根拠も無い事に無駄に悩むことがなくなるということ。
又、客観的な視点で物事を見れば、相手側の真の狙いが見えてくるようになるでしょう。
人の言動や情報に流されなくなるし、そして何よりも生きやすくなる。ということだ。

 良い例えではありませんが、TVで見たことのある芸人にバカなど存在しないわけですよ。
第三者の視点で見たら、それが視聴者から見て面白いであろうと装う演者でありエンターテナーです。
なので時代の流れも取り入れて、常に客観的、理論的、論理的に物事を考えて笑いを仕事にしている。
ここの正解は千差万別なわけだが、その正解を求め日常的に競争して切磋琢磨しているわけ。

 こう考えると、仮に同じ「事実」を複数人が見たとしても、
それぞれにある「真実」は全て違う可能性があります。
全員が同じ事実を見たとしても、同じ解釈や理解(真実)と捉えるのは難しいかも知れません。

 生き方や育った環境、教育、価値観や経験、宗教観、知っている知識や情報、
体調や気分など、前提条件が全て同じだということはありえません。
同じ料理を食べても人によっては、塩辛い・味が薄い・不味い・美味しい・
コスパが良い・コスパが悪いと言う判断が違うのと少し似ています。これも前提条件に違いがある。

 もちろん、多くの人が認める真実もありますが、それでも反対派もいます。
要は人の数だけ真実はある可能性があるって事。
これらを客観的、理論的、論理的な思考で見る習慣を得るとよい。

 有名な推理漫画の名探偵コナンでも、
名探偵の工藤新一がそれが事実だとしても、本当に真実とは限らねえだろ!と言っています。

 極端に言うと「真実」というのは無くて、世の中には「事実」とそれを見た人、
聞いた人の数だけの「解釈」があるだけなのかも知れませんね。
感知能力というか、嗅覚を育むというか、空気を読む能力は犬でも持ってるしね。

 因みに会社の会議なんかで「事実」と「真実」と「意見」の違いの話しをしています。
「それは事実なのか?」「それは意見なのか?」「それは誰の言っていた真実(意見)なのか?」
上記を理解せずに話しをしても、感情論になったり間違った判断をしてしまうだけです…。
間違った判断で行う会議ほど時間の無駄はないし、損失も多くなる可能性があります。
これらはプライベートでも同様に、相手からの信用を失ったり、大事な人間関係を壊したり、
未来の可能性を自ら破壊してしまうこともあるでしょう。これらには適応能力が必要になる。

「事実」は常に一つです。

 しかし、それを見た人・聞いた人の「真実」は複数ある可能性もあり、「意見」となると尾ひれが付きすぎたり、真実と相当乖離している可能性が高い事を認識しながら、物事を判断していきましょう。

 人間という動物は、基本的には欲望の塊である。
いつまでも若くいたいし、自分に都合よく楽をして生きていきたい。
これが人間を客観的に見た場合の答えではないでしょうか。
なので、その心理を利用した悪徳ビジネスが横行しているわけです。
残念ながら…、
・人生は、自分の都合のいいように出来ていません。
・いつまでも若くいるのは生物的に不可能なことです。
・戦争や紛争はこの世からなくなりましたか?



 この記事を読んでいる貴方が、もしもアダルトチルドンであるならば、
客観的かつ理論的な思考を育むことはとても重要なことだと思っています。
アダルトチルドレンは情報弱者であり、この事実以外の何者でもない。
なので自ら学ぶ意識を持ち、自分に必要な情報を取りに行ってください。
現代社会は情報に溢れており、無限に学ぶことができます。
※学びのない環境とは洗脳であり、文明からかけ離れた少数民族のようなものだから。
 

 臨機応変、適応障害とは何か?
世の中の価値観や、その相場も理解する必要もあるでしょう。
その場、その時代、自分の立ち位置など…。
主観ではなく、それぞれを常に客観的に見る能力だ。
本物の詐欺師と言われている人達は、ズバ抜けてその能力が高い。
つまりは人間心理や社会動向に対する適応能力が、非常に卓越していると言えます。

 アダルトチルドレンは真面目な人や素直な人に多い。
すなわち、精神面もチルドレンである場合が多いのです。
真面目であることや、素直さを持っているのは素晴らしいことだと思う。
ただし、それだけではダメです。それらも要所要所で使い分ける必要があるからだ。
客観的、理論的、論理的な視点で、自分なりの考えを沢山導きだしてみよう。

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