変則勤務という働き方

『サラリーマン』あるある


 なぜ国民の祝日は存在するのか?
なぜ一般的に土日は休みなのか?
そもそも、日勤だけではダメなのか?
人間は夜行性ではありませんね。

 学校や国の機関、自治体や銀行だって休みになる。
であるならば、なぜ変則勤務が存在するのか?

 もちろん理由は存在するのだが、その理由が何なのか?
が問題である。

この記事は、一方的なダメジロー(個人)の偏見話になります



変則勤務が必要な理由①

・命が関わる場合。
 入院患者もいれば急患もいる。命とは、常に緊急度が高いもの。
救急車にお盆や正月休みがあったら、どうなるのかはわかるじゃないですか。
命の尊さに休みは無いので、そいいう意味では介護施設なども同じです。
命を繋ぐための仕事をしなくてはなりません。

 なので日勤や、夜勤という変則勤務が発生する。
病院などで多いのが土曜は午前中までで、日曜は一般外来は休みです。
※当番医は医者や看護師、事務員も含めて休日出勤になる。

 仕事として、高い志と使命感を持っていれば、働きがいを得られるでしょう。
ただし、常に人間を相手にするという疲弊、命と向き合う疲弊からは逃れられない。
どんなにダメ人間で、犯罪者であっても治療が必要ならやるしかない。
どんなに良い人でも、どれだけ健康な人でも、死ぬときはあっけなく死ぬ。
人はどのように死へと向かっていくのだろうか…。
その現実を目の当たりにする動揺、葛藤はつきものだ。

 自身が病気やウィルスに感染する危険もある。ココのリスクは一般人とは比較にならない。
仕事として割り切るか、使命を全うする志が無ければ、非常に大変な仕事である。
人の役に立つとは何なのか? 自己犠牲とは何なのか?
学校に通って猛勉強し、実習課題をクリアし、国家資格を得て、それで変則勤務+激務だ。


・事故や事件に関わる。
 消防や警察などの国の機関も仕事となる。(前線の現場と表現するのが正しいか)
海上保安庁、航空自衛隊もそうだが、全員が休んだら誰が国と国民を守るの?になる。

 例えば公共インフラの場合。
一例で言うと、原子力発電所で全員休みは不可能だ。

 上記の仕事に限らず、法的にも監視員がいなければならない仕事が存在する。
これに当てはまる場合、土日も連休もシフト制だ。

 安全性、危険性、緊急性。
そうすると、おのずと自身の『安全性と危険性』に対するリスクが増加する。
自分自身が怪我を負ったり、最悪は任務で殉職することもある。
『万が一』に備えているが、それが現実になった場合には、自分の保証も万が一だ。
ある意味、誰よりも『平和な日常』を望んでいる人たちかも知れません。
危機感や緊張感を肌で感じる仕事というのは、自分の余裕度と神経をすり減らすもの。
やはり、高い志と使命感が必要となる。
※個人的意見としては、政治家にもその使命感を持ってほしい…。



 先の医療系はドラマでも人気があり、美化してフィクションとして創られている。
同じく警察(消防)も同様であり、フィクション内の演出から正義の憧れとなり易い。
あくまで皆んなに楽しんでもらうため、余興としての作品だから当たり前なんだが…。

 しかし現実は、『余興として放送できない凄惨さ』が存在する世界である。
人命、危険と安全、その重さの裏には、理想と対比する現実が存在する。
(人命救助には命の『優先順位』が存在する。すなわち、命を切り捨てるとも言える。)
若くて勢いのある、未来の灯火があっけなく消えていく現実…。
自分の生活と仕事の狭間で、様々な葛藤と対峙することになるのだ。
テレビの余興情報を真に受け、ただの憧れで仕事を選択すると必ず挫折します。

 少し話が脱線しましたね。
要は休日出勤や夜勤が必要な職種というのは、そこに【絶対的な必要性】があるからだ。
必要性があるということは、手を抜ける仕事ではないです。
つまり、決して楽で楽しい世界ではないということ。

上記にかかわらず、絶対的な必要性があるならば、変則勤務が必須となるでしょう。




変則勤務が必要な理由②

 絶対的な必要性がない場合、次に来るのは利益を得るためである。
そしてここには、利便性も含まれます。

これが日本であり、民主主義と言われる世界になるわけですな。


 ここでは、
利益の代表例=工場とします。
利便性の代表例=コンビニとします。

 工場と言うからには、何かを生産している拠点ということになる。
それらは何らかの商品であり、少量生産から大量生産まで様々ですね。
・少量生産=高付加価値商品である場合が多い。
・大量生産=ニーズを重視した商品である場合が多い。(収益の柱と言える)

 まず、世の中(経済)は『需要と供給』のバランスで成り立っています。
細かいことは抜きにして、これに価格を付け加えるとします。

 そうすると単純に、
・供給量より需要量が少ないと、価格は【下がり】ます。(利益を削る)
・需要量より供給量が少ないと、価格は【上がり】ます。(利益を乗せる)
企業が利益を最大限に生み出すにはどうしたらよいのだろうか?
1日は24時間と決まっています。

 そこで、
利益重視①=工場を2直勤務、3直勤務にして稼働率(生産性)を向上させます
利益重視②=人件費は固定費を圧迫するので、少ない人数で直勤務を組む。
(FA化してロボットを多用するなど、同じく生産性を上げると言うことだ)
※ただし、原価低減の取り組みや、損益分岐点を上回る売り上げが必須条件となる。

 利益重視のお手本製品としては、
・自動車
・家電製品
・医薬や化学製品
俗にいう、工場の代名詞である工業製品が多いです。
この他にも衣料品やお菓子など、固定費を上回る利益が出るなら、
工場を稼働させるのが経営の基本スタンスになるでしょう。

 テレビが家に無くても、テレビが古くても死ぬことはない。(緊急時は自治体で発信)
新車でも中古車でも、車は走ります。(移動できるという価値は共通)
全ての違いは価格だけであり、それが個人の自己満足だけである。
※車の物理的特性は別ですが…。



 利便性の代表と言えるコンビニは、皆さんご存知の通りです。
いつでも、どんな時でも、雨の日も、風の日も、24時間お店が開いています。

 日常生活に必要なものは、最低限は何でも手に入るようになっている。
なので、不測な事態にも対応可能なのである。
・食品類
・下着類
・エチケット用品
・カセットボンベなど

 加えて生活には不要である、嗜好品の品揃えも素晴らしい。
・雑誌
・お菓子
・デザート
・酒類
・タバコ
・etc

 上記の通り、コンビニはいいとこ取りなのである。
スーパーで食料を買い、調理せずとも食せる商品を揃えている。
本屋に行かずとも、暇つぶしになるような雑誌は置いてある。
ゲームソフトなんかも売ってますね。

 それが24時間、365日、歩いて行ける距離に展開されている。
これは正に利便性が良いと言えるでしょう。

 人間は夜行性ではないので、生活に必要な行動は日中で事足りるはずなのだが…。
利便性と流行りにお金を採取される人は非常に多い。
これもまたビジネスモデルである。


変則勤務の対象者

 先の【絶対的な必要性】を除けば、その次にくるのは【利益追求】になるわけです。
問題は、その利益を生むための労働力を誰が提供するのか? である。

 企業の重役や社長、政治家は日勤ですね。
人権とは別の話で、残念ながら労働力というものはランク付けされており、
ホワイトカラー』が『ブルーカラー』より労働力を採取するという構造になります。
要は偉くなれば良いのだが、企業勤めも政治も高学歴などの『資本力』が必須となる。
上記のように、そもそものスタートラインが違うという現実が民主主義である。
(本当に報酬が高い人というのは、日勤勤務者ということです)
ただしこの世から、ブルーカラーが全ていなくなったら社会は回りません。


 一般的な、日中の勤務形態と言えば平常勤務になる。
平常勤務とは、8:00〜17:00の時間帯に該当するような働き方だ。
(9:00〜18:00も同じ部類に属する)
市役所や銀行は、日中しか窓口が開いていないと言えばわかり易いでしょうか。
これらの窓口は利益メインではなく、手続きがメインであるからだ。
(人件費を賄う以上の利益は生まないので、夜勤で窓口などやらない)


 つまりコンビニの夜勤や、工場の変則勤務などは『緊急性も必要性』も低いと言える。
全ては該当しないにしても、ほとんどは『利益追求』のためだ。
例外では緊急性の高い製薬、化学反応時間の都合で夜勤が発生するなど。

 ここでは企業の利益追求のために、労働者は変則勤務をするわけです。
法令で定められている深夜手当を受け取る代わりに、自身の労働力を提供する。
フードロスは食品の供給過多と言えるが、現状は食料を育てるために夜勤はしません。
世界の人口爆発で食糧危機が謳われていますが、今後はあり得るのかもしれませんね。
(実際には、葉物や菌類などは既に実施しているかも)

※特に介護福祉士は需要は高いが、リターンが低くて労働採取は強烈である。
という悪しき職種として名が知られていますね。
もちろん会社なので、ブラック企業と同じで、その会社により待遇は異なります。
今後は更に需要が高まる職種なので、これから良い方向に変わっていけば良いですね…。
典型的なブラック体質とは?


まとめ

 祝日や土日は政府機関、自治体は基本休みだ。(休日窓口は例外とします)
国としても国民の休日は休みである。国会も国会議員も休み。
そもそも、働き方は日勤オンリーです。

 では、なぜ民間企業は休みではないのか?
それは単純に利益が目的だからである。
当たり前の話だが、民間企業は営利法人ということ。

 若くて元気があるほど、お金は欲しいものだ。
コレは当たり前でしょうよ?
流行に乗り、背伸びもしたい、それは若さゆえのエネルギーだから。
だから、自分を酷使して、自分の時間を切り売りしてでもお金が欲しい。
でも変則勤務明けで遊びにいくのはリスクしかない。
企業経営はその心理も理解した上で、合法的に労働採取をするわけです。


 ココからはダメジローの本音。
結果的に変則勤務は、お勧めできませんね…。
・時間と肉体を提供した結果、手当という上乗せ金が貰えるだけ
・その結果、その時々の感動を得られない可能性が高くなるだけ


 上記の、だけをしっかりと考えなくてはなりません。
そのだけを、自らの意思で選択しているのならば何も問題はありません。

 手当というものは、あるに越したことはない。ただ、それにすがる生活はダメだよ…。
塵も積もれば何とやらで、その手当を有効に活用する目的があるなら良い。
そうではなくて、だた浪費するだけなら民主主義社会のカモにされています。
企業の経営層が、労働者の健康を第一に考えているならば変則勤務はさせませんよ?
変則勤務と病気の因果関係は特定できないので、体を壊した側の負けになる。
まさに、労働力の採取なわけです。

 平常勤務だろうが、変則勤務だろうが、その手当以外の差は無いのです。
景気が悪くなれば、パートや期間社員に続いて、派遣切りを実行するわけです。
その次に正社員の希望退職を募る流れになります。自分の奉仕と頑張りは関係ありません。
これは資本主義の、経営というビジネスなんです。
ビジネスという、お金を生み出すサイクルを、どのように構築するのか? なのだ。
基本的に経営層というのは、外的要因を理由にして自己のポジションは確保できます。
※上場企業などは大株主より、役員を降ろされることが稀にありますけどね。
でも一般の労働者と違い、クビにはなりません…。役員報酬が無くなるだけです。

 変則勤務は感動という経験を、今この瞬間で得られにくくなる。
生配信では無く、録画の確認になる。
これは、自分が世の中のライブでは無いということだ。
イベントというものは、人々が動きやすい土日や日中である場合がほとんど。
それを体感できるのか、できないのか。基本的に感動とはライブ(生きている)なのだ
人間をより人間らしく『感情を維持』させてくれるもの。感情とは感動です。
感動は自身の力になり、活力になるものです。沢山の感動を得て欲しいとダメジローは思う。

特にアダルトチルドレンは感情の育みが乏しいので、感動から刺激を受けてほしい。

 そして何よりも体に悪い。夜行性ではない人間には負担が大きいです。
規則正しい生活が出来ないため、ホルモンバランスの崩れや血圧の上昇を招きます。
ダメジローは変則勤務と高ストレスから解放されたら、血圧が下がりました。
食事は基本的に、醤油も塩もダクダクです。でも、血圧が下がったという事実がある。
お医者さんの言う、【規則正しい生活】をして下さい。医学的根拠があります。

 つまり、若くて健康なうちは良いが、歳を取ると体を壊し易くなるのだ。
そしてまた、自分の家族と一緒に『感動を覚える経験』が不足する傾向にあります。
日常に感動もなく、ただただ変則勤務をして暮らす。それでは労働力を提供するロボットです。
様々な意味で、人間らしい生活、人間らしく生きられないと言えます。


 ただし仕事という側面で言えば、
『専門性があるから優位性がある』とも言えます。
上記からすれば、誰でも楽にできる仕事は除外されますね?
誰にでもできる仕事というのは、基本的には低収入になります。
これは何を意味するでしょうか?
・優位性を選択するのか?
・バランスを選択するのか?
・自由を選択するのか?
どのような仕事にせよ、どっちが偉いとかはありません。
ただし、現実的には報酬面で差が生まれます。
ここは正しく認識するべきだ。

 また、全ては手に入らない。
それはホワイトカラーもブルーカラーも同じ。
そこは押さえておきましょう。


 ダメジローの考え方は、
専門的な能力を身につけるまでは我武者羅。(若くて健康なうちに生活の基盤を築く)
能力=経験×時間。そして、本質を捉えられるかだ。それも能力なのかも知れません。

 その後は、生活を愉しむスタイルを取り入れる。(会社のために、定年まで人生を走り続けない)
そのような人生設計というか、戦略もありだと思っています。

 なので理想は、『バランスの取れた生活ができるホワイトカラー&ブルーカラー
というポジションを、自分なりに掴み取りにいく事が重要だと思っています。

 アダルトチルドレンは思考回路の幅が狭い傾向にあります。
なので、何が正しいとか過ちであるとか以前に、思考の幅を広げるべきだと思います。
気づきとはチャンスである。そこに早いも遅いもない。

コレも現代社会の個人にとっては、考え方としてアリだと思うのですよ。







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