この『生きがい』という言葉は、日本固有のものです。
英語にも生きがいという言葉はありませんね。
その他の国でも、同等の意味を持つ言葉は存在しないのではなかろうか?
日本語の『生きがい』という言葉は、ニュアンスを伝えるのがとても難しいのだ。
すごく意味深い言葉だが、自分の『人生の意義や満足感、幸福感』
をもたらすものが、日本人の捉える生きがいであると言われています。
誰でも持っているわけではない
この記事をご覧になっている貴方は、生きがいを得ているだろうか?
日常の生活に於いて、誰もが生きがいを得られるのだろうか?
そんな事は、まずあり得ないでしょう。
そんなに簡単に手に入れられるものではないと思います。
特に若者であれば、生きがいという言葉の重さを理解できないだろう。
なので現実的には、生きがいを探し求めている人の方が圧倒的に多いのでないだろうか?
(この、自分の生きがいを探す行為そのものが若者に多いということ)
色々とチャレンジしてみたり、自分探しの旅に出てみたり…。
繰り返しますが、生きがいというのは、簡単に手に入る物ではない。
又、それを探し求めたからといって、手に入る物でもないのだ。
人生を歩む経験値として、生きがいも蓄積されていくものです。
生きがいとは、趣味や道楽のことではないのだから。
※夢中になれる事がない人は、趣味や道楽を探すと良い。
その場合は探し求めてるいるのが、生きがいではなく、日常の充実感ではないのか?
良い学校を出て、良い会社に入ったからと言って得られるわけでもない。
給料がいい、社会的地位を得られても、生きがいは得られない。
それだけの理由では、踊らされた人生を送っているに過ぎないからだ。
(それが素晴らしい事だと、植え付けられた価値観)
ブランド物を手にしても、いい車を買ったとしても、生きがいにはならない。
コレは、自分の生きる目的は何だろうか?
何のために生きているのだろうか?
という、魂の叫びにも思えるのだが…。
この生きることに対する葛藤は、やはり若者に多いと個人的には思っている。
又、仕事や人間関係などで疲弊してしまった人も、感じ得るのではないだろうか?
そしてやはり、真面目な人に多いというのが想像に容易い。
深刻ではないにしても、誰もが一度は考えたことがあるのではないか。
生きるって、生きてるって、いったい何なんだろうな?
自分は、何に対して納得できていないのか? 納得していないのか?
自分は何のために生きているのだろうか?
ある意味、自分の生きがいを構築していれば、何のために生きているのか?
そんな考えは出てこないはずだ。
自分の人生の意義を、理解しているということ。
難しいのは、誰もが人生の意義を確立しているわけではないということでもある。
人生の意義なんてものは、そんな簡単に手に入るわけがない。
そうすると、意義って何なのだろうね?
人生の満足感や幸福感は、どうすれば手に入れられるのか?
誰もが求めているもの
学校という集団生活において、自分だけが仲間外れというのは、誰だって嫌でしょう。
仕事で言えば、長時間労働だって好きな人はいないし、有給休暇だって完全取得が理想だ。
自分自身の権利、存在感、自分が生きていることの価値を証明したいのだ。
極論的には、満足したいということ。
※何に対して満足したいのか?になる。
他人に認められたり、自身の存在意義だったり、
それらを生きがいだと思っているのだ。
(自身の心理的欲求からくる充実感であり、幸福感でもある)
日常生活に於いては、自分基準では生きていけない。
だからこそ様々な葛藤があるのだが、そんな現実の中で自分の生きる意味を問う。
生きがいを探し、心が叫ぶと表現したらいいのか…。
別にあぶない記事を書いているつもりはありませんよ?
ダメジローは経験則を基にして記事を書いています。
なので、貴方にもいつの日か、必ず訪れる時が来るのだと言いたいだけだ。
この記事や運営者ヤバくね? そのように思う方もいるでしょう。
ダメジローの視点だと、何も考えずにその時がきたらヤバくね? なのだよ?
※今までそのように考えなかったとしたら、それは単純に苦労してないからです。
仕事で例えると、まだ自分に余裕がある段階だからです。
貴方のアウトプットが重責になった時、
マネージメントで結果を出すポジションになった時、
家庭を築いて、その責任を全うする立場になった時、
その時が訪れた時に、対処するスキルは得てますか? なのです。
人生にとって、生きがいとは非常に重要なものです。
貴方は何が目的で生きているのですか?
貴方が一生、責任も負わず、苦労もしない人生を
送れるのであれば、感じ得ない思考かも知れませんね…。
それか、言葉の意味を正しく理解できていれば。
生きがいの本質
生きがいとは何なのか?
自分の生きがいを探し求めている人は、とても多いのが現実です。
ただし、そのような考え方からでは、生きがいは手に入りません。
自身の悩める無限ループに突入してしまいます。
しっかりと、生きがいの本質を理解しておきましょう。
日本人は他人から認めれることで、自分の価値を見出す人が多いです。
これは日本人というよりも、国の風土が影響しているように感じている。
(義務教育から、他人から認められることが、とても大切な事という空気感が漂っている)
自分の存在を認めるとは、自分以外の誰かの役に立つ事で実感を得られるものです。
誰かの役に立つということを、最も実感できるのは仕事になるでしょう。
つまり、仕事を通じて【人と社会】に関わっていると言えます。
その関わりから、自分という人間の意義や価値を逆算しているとも言える。
※人生の生きがいとは人それぞれです。この記事はそれを仕事に絞って表現しています。
個人の生きがいとは、下記の融合体であると言われています。
・世間が必要としている事
・報酬を得られる事
・自分が得意な事
・自分が好きな事
わかり易く言えば、自分の『好きや得意を仕事にして、それで生活できる』なら幸せですよね?
それが人の役に立つなら、なおさら幸せなことです。それらは生きがいに直結し易いのだ。
そして上記の場合、生きがいとは報酬【お金】が中心では無いというのが分かります。
報酬【お金】を無限に手に入れたとしても、生きがいにはならないのだ。
・人生、セレブ生活できれば満足か?
・人生、高級な高層マンションに住めば満足か?
・人生、高級車を無限に買い換えれば満足か?
・人生、毎日A5ランク肉、本マグロを食せば満足か?
上記は満足に繋がらない。それは、一瞬の欲望を満たしただけだから。
逆に悲壮感を感じ得るタイミングも訪れることだろう。
自分が人生でやり遂げたかったことは、これだったのだろうかと…。
生きがいの本質とは、自分の『納得、満足、充実、貢献、報酬』などの融合体なのだ。
何かひとつだけ成し遂げても、生きがいは得られない。
加えて自身の価値や、生きている証など、自分の人生の意味や意義にリンクしているもの。
結果としてバランスが重要であり、どれかが崩れると生きがいも崩れやすいのだ。
→ワークライフバランスの意味
※納得できない、満足できない、貢献していない、報酬が少ないなど。
生きがいとは、仕事と人生の相乗効果なのだ。
その積み重ねが自身を向上させていくという、日本独特の勤労感(自分の生き方)でもある。
単純に自身の労働力を提供し、対価という報酬を得るだけでは、人間としての幸せを感じる
ことはできないのである。それはマズローの法則で証明されている。
よって、毎日を遊んで暮らしたからといって、生きがいになる事はない。
又、好きな事(趣味)に没頭する、お金に困らずに暮らすことができても、
それだけでは生きがいには結びつかないということだ。
なので、自分が幸せと感じる時は何か? に着目してみるのがいいと思う。
日々の生活に満足できず、何か納得できないなら、生きがいを探し求めるのではなく、
まずは自分が夢中になれるものを探した方が良い。
その方が手っ取り早く充実感を得られるからだ。
ただ、それも簡単な事ではないでしょう。
そんなに簡単に夢中になれるものも手に入るわけではないから。
だったら、興味のあるものに片っ端からチャレンジするのが理想だ。
飽きたら休む。それで良い。
それはそれで、恵まれた環境にないとできないことだから。
そのうち、自分の信念みたいなものがでてくる。
自分にはコレをやる意義がある。みたいな。そうなると長続きするもの。
(天才はそれを一撃で手に入れる。好きでやる。これが使命みたいな。)
それは趣味かも知れないし、社会貢献かも知れないし、ビジネスになるかも知れない。
視点を変えれば、
自分がなぜ、生きがいを求めたのか?
その原因を究明する時期が訪れたのかもしれません。
これは、自己成長のチャンスでもあるんだぞ?
【補足】
海外の先進国は、仕事と私生活は別物です。
仕事=労働力を提供した対価。
私生活=自分の時間であり、バカンスを楽しむ。
欧州などの先進国は、仕事とプライベートをしっかりと区別している。
余暇は自分のやりたい事をやるか、家族と過ごすのが定番だ。
個人がリフレッシュするだけの時間を、確保できる仕組みが社会として整っている。
日本と違って仕事とプライベートの線引きが明確(メリハリがある)なので、
白黒つけやすいと言ったところでしょうか。
確かにこの考え方だと、生きがいとは意味が異なるでしょうね。
又、生きがいの感覚を理解したいなら、ボランティアに参加してみてはいかがだろうか。
人は何かしらの形で、誰かの役に立ちたいと思っている動物なのだ。
少し面倒だと感じるかもしれないが、体験してみた方が話が早い。
人の役に立つとは何なのか?
自分で体感してみると良い。
人の役に立てた時、何かを得ることができると思います。