まず、この世には全く同じ人間など存在しません。
人間という動物は、十人十色です。
多数の人間が集まれば、多数の考え方があり、判断や行動にも違いがでます。
それは当たり前のことであり、極めて普通のことです。
※規律とルールを守らないとは意味が違いますよ。
ただし、それらを『ある程度一致』させないと、人間という集団が纏まりません。
この集団行動教育は、日本人なら義務教育の過程で学んでいます。
つまり、相手を尊重(優先)するというのは、日本文化のお家芸になります。
また、上記を本心で捉えるのがアダルトチルドレン(子供)であり、
大人は面倒臭いので、適当に相手に合わせているように見せかけます。
そうすると、本音と建前が存在するわけですね。
人々が集う環境というものには、本音と建前が存在しています。
相手を尊重するような気遣いなら、もちろん問題はありません。
そうではなくて、自分の考えや意見を、言いたいのに言えない。
言いたいのに、言える環境じゃない。ココが問題ですね?
そして、それが顕著に現れているのが、日本社会ではないでしょうか…。
良いか悪いかの2択で答えが出るなら、悩むことなどないでしょう。
常に白黒判断と決断で結果がでるならば、そんなに苦にはならないはずだ。
常に自分に正直に、真っ直ぐに生きられればいいのだが、
現実は自分を偽った発言や、行動を選択しなければならない。
これは真面目な人ほど疲弊しやすいものだ。
つまり、アダルトチルドレンと子供が該当します。
この偽りの比率が高くなると、何も楽しくないし、日常がつまらなくなっていく…。
そうならないように、自分をコントロールしていきましょう。
日本特有の同調圧力
そもそも同調圧力とは、
『少数意見を持つ人に対して、多数意見に合わせるよう強制』することを言います。
しかも、それは『暗黙の強制』なのです。
問題なのは、暗黙にも関わらず、外部からの干渉があるわけですよ。
ここで書くとキリがありませんが、
『全体の迷惑になる、周囲とズレている、協調性がない』などと、
まるで自分がおかしいような扱いを受けることもあります。
発展すれば子供だけじゃなくて、大人のイジメなんかもあるわけで…。
日本も昔に比べればだいぶ良くなりましたが、まだまだ同調圧力が強い国だと思います。
これは島国という独特の環境が影響していると考えられています。
ダイバーシティや、グローバル化が進んでいる会社の風土は改革が進んでいる。
しかし、根強く残る日本風土は文化でもあり、そんなに簡単には変わりません。
別に日本に特化した話ではなくて、純血が多ければ、混血を認めません。
例えば学校という、社会全体では比較的狭い空間があるとします。
その場所で、外国人や地方からの転入者がいれば、必ず差別をする人が生まれます。
これは例えなくても、各国の歴史の流れから振り返ることができます。
※大都市のように多種多様化が進めば、人種のルツボのように変化が見られますね。
表現はどうあれ、例えば白人第一主義者です。
これはその国の、歴史と文化を象徴しているように感じています。
もちろん全員ではないですが、価値観が固定される環境(地域など)も存在します。
・経験上の話、アメリカの観光地でも結構露骨にくらいました。
・経験上の話、タイや台湾は日本人に優しく接してくれます。
※あくまでダメジローの主観ですが、歴史も絡んでいます。
要は差別の強い国や土地に行けば、例外なくアジア人として差別を受けるわけです。
同じく、視点や視野が(固定概念など)固定されている人に会えばそうなります。
命を狙われるなら警戒する必要がありますが、ただの差別は気にしても時間の無駄です。
相手を尊重できない人というのは、日本だけでなく、世界中にゴロゴロいるわけであり、
年齢や人種に関係なく、自分を尊重してくれる真っ当な人間を大切にするべきなのです。
※SNSで脅迫めいたDMを送りつけている人も未だにいますよね…。
要は、決して『ゼロ』にはならないのだ。
それが現実的な行使で可能なのは、国家権力しかあり得ないということです。
本音と建前の背景には、『他人の目』が自分をどう見ているのか? という潜在意識がある。
日本人が教育やテレビなどで、潜在的に植え込まれた価値観からすれば、
・お金持ち
・成功者
・幸せそうな人
・カッコいい人
上記のように、社会的優位性を自分の価値観として築いている人が圧倒的に多いです。
だから、日本人は異常なまでにブランド物が大好きと言えるんじゃないですかね?
※発展途上→先進化する時は同じ現象があります。中国の方もブランド好きは多いと思う。
ブランド物が安く買えるというお得感が、大渋滞のアウトレットに向かうんじゃないですか?
まぁ、資本主義とはそんなものかも知れませんが…。
【余談】
ただし、ブランドという価値を死守するため、利益だけを追求しない戦略もある。
ルイヴィトンやロレックスのアウトレットはありません。そんな感じですかね。
また、日本のテレビ局が発信する情報は偏り過ぎだと感じてしまう…。
同じような情報で、似たような番組を沢山作ったり『流行り』を植え付けます。
だから余計に、自分を築いていないと作られた価値観を鵜呑みにしてしまいがち。
その情報操作によって作られた価値観が格差を生み出しているようにも思える。
『勝ち組』『負け組』という価値観が憎悪を生み出し、実際に犯罪も起きています。
典型的なのがイジメだ。小中学生が夏休みなどに海外旅行に行ったとします。
楽しかった話をしたいだけなのに、そのままクラスメイトに話すとイジメにあう可能性もある。
これは相手が『負け組』と感じ、『勝ち組』に対する憎悪を抱くからである。
自分が幸せでも、素直に喜んでよい状況なのかを、注意深く観察しなくてはならない。
日本ならではの、他者の目線に対しての『本音と建前』が必要になるのだ。
出る杭は打たれる。
日本文化の美徳感、自己犠牲に励む、自分を押し殺す。
日本人は自分の個性を抑えることに強いエネルギーを消費している。
誰かの役にたてという、社会的使命という重圧が、自分を疲弊させている。
他者や社会から認められない自分は『恥や仲間外れ』だと思ってしまう。
他者承認欲求が満たされないと、自分が幸せであることを実感できないのだ。
日本の組織風土としては、
「自分が望む事よりも、組織の望みを優先させる」といった考え方が一般的です。
転職サイトのCMでも揶揄されていますが、日本の会社で組織優先は基本だ。
これは当たり前なのですが、このような経営方針を持つ会社が多いからです。
※もちろん日本に限った話ではなく、企業規模や職種、組織風土によっても違いがある。
CMを鵜呑みにして転職しても、結果は同じだった。…なんてよくある話なわけで。
優先があるので、建前が存在します。
つまり、世に寄与するために弊社は存在している‼︎ という経営方針があるわけで。
そのように、世に寄与するという経営方針が無いと、起業は認可が降りないのです。
優先があるので、建前に合わせるのが、ある意味普通と言えます。
自分は違うと思っていても、自然に同調圧力が発生してしまうという環境なのです。
ということは、
それが普通なんだから、自分が譲れないものを選別し、それ以外は割り切ればよいのだ。
つまり、自分にどうでもいいものは同調したふりをしてやればいいんじゃないですか?
一つ一つを真剣に捉えず、【あー、それいいですねぇ‼︎】が口癖になれば楽勝なわけで。
そして腹を割って話せる仲でなければ、本音は言わない方が利口である。
それが面倒(ストレスも)を回避する、大人の思考なんです。
そこで、下記が重要になるわけ。
・本音はどのタイミングで発信してもよいのか?
・本音と建前の中立タイミングはどこなのか?
・建前はどのタイミングで発信するものなのか?
違う言い方をすれば、
自分が自己主張するべきポイントだけを誤らなければよい。と言える。
感情労働は心を蝕む
本音と建前、同調圧力を真に受けていると、感情が疲弊していきます。
弱音を吐くな、努力が足りないなどと、精神論を基軸にした考え方の人も沢山います。
もちろんそれは、状況にもよるわけですが…。
※個人的に、この思考は団塊の世代に多く存在しているように感じています。
高度経済成長期というのは、頑張れば頑張るだけの見返りがありました。
だから、頑張れは報われるという思考回路が植え付けられていると思われます。
現代では、頑張りは報われません。それはもう、当たり前の時代になったからです。
現代社会の評価基準は、頑張りの先にあるアウトプットであり結果です。
なので、団塊の世代の子供に「ひきこもりや適応障害」が多いんじゃないのか?
時代のギャップ、世代間ギャップを頭ごなしに植え付けようとしてませんか?
その思考を引き継いだ家庭に、いまだに波及しているように思えてしまうのだが…。
その圧力を真に受けると、本音と建前の板挟みが辛いので『集団』に参加しない。
同じく、『社会』にも参加したくない。
そうして、人との関わりを遮断する。
イエスかノーで判断するなら、それしか選択肢はない。
ひきこもりには多くの要因があるが、感情労働が引き金になっていると思うのだ。
・自分の意思や意見は不要だ。
・自分に価値はない。認められていない。
・自分じゃなくても良い、ロボットでも良いのだ。
上記のように、まるで自分という個性が否定されている感覚に陥るでしょう。
外部要因を真剣に考えている人は、例外なく疲弊するのです。
つまり、自分にはどうにもならない『本音と建前、同調圧力』は悩んでも時間の無駄。
本音とは、ありのままの自分であり、自分という個性である。
なので、自身の生活スタイルにどのように活かせば、自分の人生は楽しくなるだろうか?
自分の個性を発揮する『時間、空間、場所、物、人間』は築けてますか?
と言った感じでしょうか。
同調圧力の掛かる団体行動は割り切り。
個人の自由な時間は個人行動でバランスをとる。
→幾度と言っているが、まずアダルトチルドレンは他人依存を克服するべきである。
学校は勉強するところと割り切る。→他の楽しみを探す、居心地が悪いなら転校もありだ。
仕事は仕事と割り切る。→自分で他を選択するのも割り切りと言えます。
親と上司は選べないと割り切る。
普通に考えれば、自分が嫌いな人と友達になることはありませんよね?
全てに完璧を求めず、良い人を演じず、別に割り切り精神があっても死にませんよ?
赤の他人から良い人に見られたいですか?
そう思われたとして、いざという時に助けてもらえると勘違いしてませんか?
それは貴方が勝手に、そう思いたいだけではないのですか?
本当に生きるか死ぬかの緊急事態では、他人は貴方のことを助けてはくれません。
自滅してしまうからです。
それも割り切りなんです。
一見残酷にも思えますが、自分という動物が生き抜くための割り切りです。
日本社会は、上記の割り切りを良しとしません。
世のため、人のために尽くせ。
そのような、国の情報統制、教育方針を基盤としています。
確かに、理想の国の社会像はその通りだと思う。
しかし、貴方の人生は貴方だけのものであり、自分の人生は自分で歩むべきだ。
フィクションとノンフィクションを履き違えてはいけません。
他人に依存しないからには、全て自己完結させなくてはならない。ではありません。
ここは勘違いしないでください。
国に対しての勤労の義務や納税の義務はありますが、人生を捧げる必要は無いんだ。
それを真に受けていては心を閉ざす、心を病む、それでは人生損する以外にありません。
正しい割り切りとは何か?
を、自分なりに考え、築いてください。できれは論理的に。
本音と建前の狭間をどのようにコントロールするのか?
自分の考え。
自分の個性。
自分の正義。
などなど。
自分の中にある『本音と建前』の葛藤を、どのようにコントロールするのか?
その感覚と術を自分なりに導き出すことが重要だと思います。
上手く例えられる自信がありませんが、例えるならゲームの世界…。
呪文を使ったり、新しい街でパートナーができたりして、自分には無い世界観がある。
興味の無い人から見れば、ゲームやアニメは現実逃避のオタクの世界と思われるかも知れません。
しかし、実際はそれだけではないと思うのだ。
好きなキャラクターに自分を重ね、その主人公の目線で現実の問題を見てみると、
自分の問題を客観的に捉えて、前向きに悩みに向き合えることだってあるはずだ。
主人公の生い立ちや、冒険の苦労から、自分の苦悩や苦労と照らし合わせることもできる。
そこから現実世界の問題を打破する、解決策を見出せる可能性もあると思うのだ。
新しいアイデアや、イノベーションが生まれる可能性も無限にあるのではないだろうか。
社会に適応できなくても、ゲームの世界で他者に接していれば、
【悔しさ、悲しみ、楽しさ、辛さ】などの喜怒哀楽を得られる。
これはバーチャルの世界ではあるが、感情という心が動けば、
相手に対して共感や配慮、思いやりの気持ちを育めるのではないだろうか?
夢や希望というのは、現実からしか手に入らないものではない。
夢や希望の源は、現実離れした創造(経験による学び)から生まれるもの。
これらは間違いなく、心を閉ざした人には成長に寄与するものだし、
そうでないにしても、ただただゲームが好きな人にとっては心のリフレッシュに寄与する。
例になっていない?
では別の例で、
趣味などに自分の時間を使いたいが、家族のことを第一に考えなければならなかったとする。
我慢して家族(自分以外)に合わせているうちに、身体に原因不明の変調をきたすようになった。
家庭持ちなら当たり前にも思えるが、度を越せば『生きている自分』ではなくなるということ。
自分の心を犠牲にした結果は、いつか訪れるものだ。
これも『本音と建前』のバランス感覚なのである。
上記は最近話題になっている、ヤングケアラーが該当します。
ヤングケアラーは逃げ場がなく、その過酷な環境で生きるしかない。
正解も不正解もわからず、自身の葛藤を押し殺して家庭に尽くしているのだ。
※ヤングケアラーは現代用語であり、実際は昔から存在していましたけど…。
肉体を駆使した覚えがあるなら、筋肉痛などの症状がありますよね?
では、何もしていないのに体調が悪かったりするのは、
肉体的な病気以外で、心のトラブル以外に何かあるんですか?
日本人の美徳文化では、自分の悩みを人に相談するというのは意思が弱いと捉えられる。
なので自分自身の悩みは、抱え込んでしまう傾向があると思います。
特に家庭の問題など、他人には言いずらいものだ。
これでは永遠に、『明るい未来』が訪れることはない…。
負の感情の居場所がない。
負の感情は溜めているが、その感情と向き合うことはない。
限界まで抱え込んでしまうと、それは手には負えない猛毒になる。
自分が生き抜くための術を、正しく自ら認識する時代になってきているのではなかろうか。
自分で解決できない問題を、永遠に抱え込んでどうやって解決するの?
自分の力では無理だから、他人に助けを求めたり、相談したりして解決を目指すのが正だ。
心理的な不安に向き合って、しんどくなったら周りに話を聞いてもらう。
人間の心理はこれだけで安心を覚えるものだし、ストレスの発散にも繋がると思うのだが…。
なによりも、問題解決というのは専門知識を持つ識者に委ねるのが鉄則である。
繰り返しますが『本音と建前』は、
その感覚と術を自分なりに導き出すことが重要です。
長い人生を歩んでいくためには、自分でその感覚を築けないと疲弊から逃れられません。
その感覚を築く前に疲弊しているなら、他者に相談して解決の糸口を見つけるしかないのだ。
まとめ
『本音と建前』というのは、日常的に存在しています。
仕事はもちろん、学校などの集団、地域、環境、家庭内にもある。
たった1人の個人相手でも、否応なしに存在するもの。
真面目な人ほど、本音と建前が心を蝕んでいきます。
世の中には建前が仕事という人々もおり、その人達は仕事として割り切っているのです。
そのように、真面目な人は本音と建前に振り回されず、割り切りも必要な思考です。
なので自分の素を出せる環境なら、もちろんありのままの自分を表現すればよい。
それが1番ストレスフリーな生き方だ。
ただし、それが難しい環境なら、
臨機応変で要領のよい、カメレオンを目指してほしいのだ。
※自分の本心(芯)はあるのだが、ココぞ‼︎ という時以外は封印しておく。
それが人間という動物で、大人の正しい賢さである。
自分の幸せに、もう少し貪欲になってもいいんじゃないか?
どうすれば、自分がもっと楽に幸せに生きられるのか?
それは自分をコントロールすることなのか、相手をコントロールすることなのか?
を、視点を変えて考えてみるといい。
他人は他人なんで。
最終的には、自分がいちばん大切なので。
自分が成し遂げたいこと、希望することを上手に優先してほしい。
自分の本音が周囲に認められなくても、自分を信じることです。
そして腐らずに自分の能力を磨いておくこと。
いつの日か、磨いた能力というのは必ず開花するものだ‼︎
→能力×熱意×考え方