恥を、正しく知る

『サラリーマン』あるある


誰だって人前で、恥はかきたくないものです。
今、この発言や行動をしたら、皆んなの前で恥をかくのだろうか?
これはコミュニケーションが苦手な人ほど、強く意識している思考であり、
行動の基準が自身の内面ではなく、外の周囲に向けられるからです。

その周囲の反応を基準に、自分という人間像を捉えているからだ。
これは個人の思考の問題だけではなく、日本の文化も影響している。
※相手に迷惑をかけてはいけない、相手を思いやれ、他人に気配りをしろ。
そのように、自分以外の調和を重んじる文化があるので、
他人の評価を気にしてしまうというのは、当たり前の事と言えるでしょう。

今回の記事では、
自身の『行動』から、『思考』を変える重要性についてです。
REBT(論理療法)アプローチのひとつである、
シェイム・アタッキング(羞恥心粉砕法)をお伝えします。


REBTとは?

まず、REBTとは、アルバート・エリス博士の心理療法(1955年に創始)です。
いつもの事だけど、この博士系の理論って一般人には難しすぎるんですよね。
まぁ、本物のカウンセラーやら研究者の世界なもんで…。

心理的問題や生理的反応は、出来事や刺激そのものではなく、
それをどのように受け取ったかという認知を媒介として生じるとしている。
論理的(あるいは合理的)な思考が、心理に影響を及ぼすこと。



簡単に言えば、
人は身の回りで起こる出来事に対して、『思い込み』という思考を働かせています。
それらは必要以上に、物事をネガティブに捉えてしまうことがある。
・『思い込み』から、自分が悲劇の主人公に思える。(自己嫌悪に陥る)
・相手が悪いと『思い込み』責め立てる。(対人関係がこじれる)
・その『思い込み』によって、自身の感情が揺さぶられてしまう。

思い込み』に気づき、少しづつ改善し、自分の感情の表現を修正していく。
思い込み』の癖を、自らの力でコントロールできるようにする。

この行動的技法トレーニングがREBTの根幹です。
REBTで行われる行動的技法としては、行動実験
恥かき訓練(シェイム・アタッキングエクササイズ)があります。

※これはセルフヘルプと言いわれるトレーニングである。
簡単に言えば、他人の力を借りずに、自身の問題を当事者で解決することを言います。
自分の誤った固定概念を正して、視野を広げようと言った感じでしょうか?

これはアダルトチルドレンに限った話ではなく、
自分の思考の幅を広げるためにも、有効な手法だと思いますよ。
※気にし過ぎ、心配し過ぎ、悩み過ぎ、こうあるべき人間とかね。
繊細さん(HSP)の記事はコチラ


『行動実験』と『恥かき訓練』とは?

まずは行動実験から。
これは、自分の思考(考え)が正しいのか、行動して検証する流れです。

アルバート・エリス博士自身も、見知らぬ女性と話すことが苦手だったと記されています。
そこで19歳の時に行動療法の本を読み、【植物園で100人の女性に声をかけた話】が有名。

自分の女性恐怖を克服しようと、植物園で100人の女性をデートに誘ったのです。
当初、自分が声をかければ、誰もが恐がって逃げ出すだろうと想像していました。
しかし実際に女性に声をかけてみると、意外にもきちんと話を聞いてくれる人が多く、
自身の女性に対する苦手意識は、徐々に薄れたといいます。
自分の『思い込み』や『想像』は当てにならないということですね。
これがこの取り組みを通して、エリス博士が学んだことの1つ目です。

しかし、100人の女性に声を掛けましたが、デートの誘いはおおむね失敗に終わります。
(女性たちは、見ず知らずのエリス博士の誘いを受けることはありませんでした)
そんな中、100人中1人だけが誘いを受けてくれたのです。
そして約束の日、緊張しつつも待ち合わせの場所に行きました。
いくら待っても、約束の時間になっても女性は現れません。
(しばらく待ったが、結局女性が現れることはありませんでした)
100人中唯一誘いを受けてくれた女性からも、実際には拒絶されていたのです。
その結果、エリス博士は2つ目を学びを得ました。


それは、こんなひどい経験をした後でさえ、自身と世界は普段とは何一つ変わっていない
(100人の女性に相手にされないという不幸。それに自分は耐えられるのかという検証。)
まるで何もなかったかのように、そこに存在していたということです。
その場には、こうであるべきという確実などは存在しない。
あって欲しくない出来事が起こってしまったとしても、
その人の価値に何ら変わりはなし、その人が消えて無くなるわけでもない。

つまり、
嫌なことも経験してみれば、この世の終わりでも、最悪なことでもなかったということ。
デートを断られるのは残念だが、別に気にする程のことでもなく、死ぬこともない
自分は人生は楽しめるぞ‼︎ と感じたようだ。

良いんじゃないの。笑



次は恥かき訓練です。
これは人前でわざと恥ずかしい行動をとることで、
恥ずかしい(羞恥心)』、『他人の反応が気になる(不安)
などの、〜したくてもできない‼︎ という感情を克服する訓練になります。

ここでは、レイモンド・ディジサッピ博士の『帽子訓練』を紹介します。
アルバート・エリス研究所の、レイモンド・ディジサッピ博士が研修生の時、
必須訓練だったシェイム・アタッキングを実践した時の話です。

人前で帽子をかぶることは愚かだ
そのように感じていた博士は、アルバート・エリス博士からできるだけ馬鹿げた帽子
人前でかぶることを提案されます。なんとそれは、シャーロックホームズがかぶっている、
とってもダサい鹿撃ち帽だったのです。

そこでレイモンド・ディジサッピ博士は、9ヶ月間の間、その帽子をかぶり続けます。
周囲の人々の反応や、自分の否定的な気持ちと向き合うことにしたのです。
以外にも周囲の反応は、自分の思っていた想像とは違いがあったのだ。

結果として、
最大の恐怖心が薄れていき、訓練後はあれほど嫌いだった帽子の愛好家になったらしい。
しかも、季節ごとに帽子を選ぶという帽子オタになったのです。笑
※帽子が嫌い、愚かに見える、幼少期の原体験など、ネガティブな思考が薄れたのだ。

後にレイモンド・ディジサッピ博士は、
恐れていた社会的恐怖心は、楽しみへと変化していくことすらある
そんな体験だった。と語っています。

まぁ、恥ずかしくても死ぬことは無いからね。笑
特に他人からの見た目を気にかけるのは、自分だけの意識過剰ってやつだしね。
気が乗らないけど、やってみたら結構楽しかった。なんてよくある話で。
これらは、学びの本質を得たと言えるのではないでしょうか。


このトレーニングの目的

これはズバリ、3つあります。

1つ目。
自分がネガティブな感情に支配されるのではなく、それに逆らい、不快さを乗り越え、
自ら計画した通りに行動できるのだ。それを、実際に体験して証明することだ。

2つ目。
もし、周囲の人々があなたの行動を気に入らず、あなたを認めてくれなかったとしても、
それは決して恐ろしい事ではない。あなたはそれに耐えられる。そう、確信が持てるはずだ。

3つ目。

実際に周囲の人々は、他人の行動にほとんど興味を持っていない。あなたに興味がない
にも関わらず、自分が他人に認められなかったり、拒絶されたりすることを、
あれこれと想像しては、大げさに受け取ってしまう。それに、早く気づくことだ。


実際に自らの体験が確信に変わり、そしてその現実に気がつくのです。
この悩みや心配って、いったい何だったのか?
つまんない事で悩んでいたな…。
くだらない事を心配していたんだな…。
この時間、もったいなかったな…。 ってね。

『行動』が変われば、『思考』も『感情』も変化していきます。
何事も恐れず、自ら実践(チャレンジ)することで、物事は更に深く理解できるものだ。
逆の言い方をすれば、自ら実践(チャレンジ)しなければ、何も変わらないと言える。


まとめ

他人の目が気になるというのは、誰もが持ち合わせてる推論ではないでしょうか?
ここで言う推論とは=この服はダサい。だから、この服を着ている自分は嫌われる。
ちょっと極端ですけど、こんな感じです。

実際にその推論(思い込み)を検証すればわかるのですが、
①ダサい服をバカにする人はいる。そして嫌う人もいれば、嫌わない人もいる。
②ダサい服を気にしない人もいる。でもあなたを嫌う人もいれば、嫌わない人もいる。
こんな感じで、対応はわかれるでしょう。

・ダサい服を着て他人に嫌われても、あなたの価値も世界も変化しません。
・ダサい服を着て他人に嫌われたとしても、死ぬことはありません。
・ダサい服を着てもあなたは他人に嫌われず、あなたの価値も世界も変化しません。
・ダサい服を着てもあなたは他人に嫌われず、死ぬことはありません。
極論では(この記事の言いたいことだけ)上記のように、一括りの関係になると言えます。
つまり、『ダサい服』だろうが『カッコいい服』だろうが、結果は同じなんです。
それは自分の『推論(思い込み)』であり、それ以上でも以下でもないのです。
※お金を持っていたり、良い車に乗っていればモテると思うのも推論ということ。
実際にモテているのはその人ではなく、お金と車というモノなんだよね。

まぁ、仮にほとんどの人に嫌われたとしても、『んで? だから?』で事足りるのだ。
ダサい服を着ていて、学校を退学になったり、会社をクビになることはありません。
自分の価値や社会(世界)は何にも変わらないということ。
そこで何かを変えるとしたら、偏見であなたを嫌う人をチェンジすればいいだけだ。


例えば、不登校から復帰しようとした場合、
『教室に行ったらみんなに白い目で見られる」』という推論が考えられるかと。
実際は、『白い目で見る人もいるし、そうでない人もいる』ということです。
仮に白い目で見られたとして、『自分にどんな意味があるのか? 影響があるのか?』
精神的には辛いかも知れませんよね? その目は気分の良いものではないし…。

ただ、こっから解放(考え方)されると、
『白い目で見られても死なない…』
『白い目でみられても何も変わらない…』
『中には、白い目で見ていない人もいる…』
ということに、気がつくでしょう。

普段電車に乗らない人が、『新宿の研修』に参加したり、『ビックサイトで講習』
があったりすると、数日前からストレスになるわけです。
無事に辿り着くだろうか…、乗り間違えないだろうか…、電車が止まらないだろうか…。
結果的には、大人なんだから、何があっても到着するんですよ。
無駄にビビっているだけなんだよね。

要は、考え方が固着(執着)してしまうと、推論ベースで行動しようとしてしまう。
『自分が不安にならないように、不安にならないようにって、逆に不安になってるのだ‼︎』
不要な思考の、無駄な思考。負の連鎖から抜け出せなくなる危険性がある。

自分の『思い込み』というのが、いかに『現実』とかけ離れているのか、理解して思考を
修正しましょうという話です。偏った推論を、正しい直観にするということ。
・自分は〇〇であるのが理想だけど、現実は〇〇ではないこともある。
ただ、そうでなくても問題はない。ダメ人間ではないのだから。
・他人は〇〇であれば理想だけど、現実は〇〇ではないこともある。
ただ、そうでなくても問題はない。ダメ人間ではないのだから。
・自分の人生は〇〇であることが望ましいが、現実は〇〇ではないこともある。
ただ、そうでなくても問題はない。最悪でもないし、そうでなければ死ぬわけでもない。


いかがでしょうか?
今回の記事は、臨床心理学者の療法をテーマにしてきました。
精神的な不安、思考の概念というのは、『行動と訓練』で変化するという証明です。

そして、健康な価値観(人生哲学)を育んでいくことが重要なのことなのです。
自分だけの人生哲学を構築してみてはどうだろうか。



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