余裕がある人は落ち着いて見えますよね。
穏やかを備えており、安心感や安定感をまとっています。
逆に余裕のない人はパニックを起こすなど、周囲には…に見えてたりしてます。
そんなことで? 小さい人間だな? なんて影で言われたりしてるわけで…。
ではでは、
その余裕とは、どこから生まれるのか?
余裕のない人は、なぜ存在するのだろうか?
誰だって、自分に余裕が欲しいのではないか?
自分に余裕がないと、日常を楽しめないし、楽しくもないものだ。
それは何よりも、実は本人が感じていると思うのよ…。
些細なことで暴言を吐いたり、周囲からは残念な人として見られているかも知れません。
又、自分に余裕が無ければ、他人に手を差し伸べることも出来ない。
それは自分自身や家族、他人に対しても同じことになるでしょう。
注意)基本的に、アダルトチルドレンに向けた記事です。
性格という能力
自分のペースを乱さない。自分以外に乱されない。
自分基準か周囲基準の差でもあるのだが、自分の基準で生きている人はペースに余裕がある。
ここでは生まれつき、おっとりしているタイプと表現します。
マイペース型、マイワールド型は、素晴らしいほどに自己を貫くからだ。
ただ、ココに属する人はとっても貴重な少数派である。
よく天然だとか、マイペースだとか言ってますが、ここは単純に経験値の少ない若者だけです。
それは外部の影響を受けずに、生活できているということになるのだから。
背負うものが少ないほど、自由が多いということである。
いずれ外部環境に対して適応していかなければ、生活が成り立たなくなります。
自分基準で生活が成り立つのは、圧倒的に若年層に限定されます。
であるにも関わらず、歳を取り『社会的立場や家庭』を持っていても、
自分の個性を全面に出して生きられるというのは、一握りの人しか存在しないでしょう。
つまり、それは自分の個性(性格)を変化させない少数派になる。
実際には、個人の性格だけの話ではない。
・他人のペースに乱されない。
・自分のペースは乱さない。
上記に当てはまる人は、
①親の教育が成功している。
②自分でその感覚を確立した。のどちらかであると言えるのだ。
人間社会に適応できるように、体にプログラミングされていると言える。
ある意味、アダルトチルドレンもプログラミングされているんですけどね…。
真面目な人
世の中には定められたルールが沢山あります。
法律や条例、会社や学校の規則、資格の遂行など。
しかし、それを100%順守している人はいないでしょう。
厳密にはいないと言うか、ロボットではないので全て完璧にはこなせません。
簡単に言えば、とても真面目な人はルールを遵守しようとするため疲弊します。
それは自我とは関係なく、常に他人の基準で生きるということだからです。
自分を押し殺して、他人基準で生きていれば、誰でも疲弊するんです。
でもそれは、そのようにプログラミングされているからなんだよ?
(極端な言い方をしており、ルールを守らなくて良いという話ではありません)
→規律とルールとは?
このタイプは、アダルトチルドレンにも多数存在していますね。
でもそれは、親の言うことを聞け、我が家のルールを守れ‼︎
って厳しく育てられた人に多いと、容易に想像できるわけだよ。
※だから稀に、ものすごい超真面目人間が出来上がります。
融通が利かないレベルのため、自分の自爆で疲弊するわけで。(他人が悪いと思っている)
周囲との温度差があればあるほど、さらに疲弊するでしょう。
あまりルールを気にかけない人、縛られない人は疲弊しづらいのです。
重犯罪でもなければ、その受け止めは『ホドホド』でも良いのではないでしょうか?
アダルトチルドレンの場合は家庭内不全、教育、躾が悪影響している場合があります。
(共依存は他人基準の行動になるので)
これもアダルトチルドレンの親に多く、自分の正解論(価値観)を子供に押し付けます。
ちなみに日本文化は正義思想が強いので、正解論(価値観)を他人にも強要しがち。
※コロナ渦になり、自粛警察が社会問題になってましたよね?
変に真面目な人ほど、日常の忙しさに追われ、自分の基準を見失ってしまうものだ。
これは自分の基準が無く、他人基準になり易い人の差でもある。
コレらは外部のルールであり、マイルールではないからだ。
※よく言えば、軍隊なら従順な兵士、会社なら模範社員である。
属する国や組織にとっては有難いが、個人としては息苦しさを感じるかも知れません。
例えば、
・仕事で求められている速度感が日常生活にも出てしまう。
・他人から言われたことを忠実に遂行しようとする。
・作られたルールを鵜呑みにする。
そこにストレスも加わり、自分のペースを取り戻せなくなる。(外部に意識があるため)
これも、典型的な変に真面目な人アルアルでしょう。
その結果、周囲のペース、仕事のペースが日常生活まで侵食してくる。
自分の受け皿が溢れそうになり、余裕も無くなってしまう。
例えば、些細な事で機嫌が悪いとか、急にスイッチが入るとか。
こうあるべき、こうすべきという思考は、真面目の悪い部分が出ていないか?
自分の変な真面目さが影響していないか? 考えみるのもよいかと。
典型的なのは煽り運転だ。
これはマイルールを遵守している人ほど、スイッチが入るものらしい。
(今の割り込みや進入の仕方は、道路交通法違反だろ‼︎ ルールを守れ‼︎ みたいな。)
そして真面目とは意味が異なるのが、自己中心的な自分基準の人です。
このタイプは、そもそものルールを自分が決めるという思考を持っているため、
自分の基準から外れると余裕がなくなり凶暴化したりします。
ここで言っている、変に真面目な人は圧倒的にヒーロータイプに多いと思いますね。
なぜならヒーローは、自分が先頭に立たないという選択肢は無いからです。
仕事に関して言えば、ダメジローもそうでした。
一例で言えば、
昔:定時過ぎから、毎日仕事を振られる→仕事だから、俺はやる‼︎ こんな感じ。
今:定時で仕事を振られる→緊急度を相手に確認→じゃ、期限までにやる‼︎ こんな感じ。
※これだけで日々の帰宅時間が数時間違ってくるので、疲労感も違って当たり前なんだ。
そもそも全ての仕事は完遂できない。だから、選択と集中で優先順位をコントロールするもの‼︎
なんでもそうだが、自分がコントロールする側にならなくてはなりません。
今思えば、生きるために働くのではなく、働くために生かされてきたという感覚です。
全身全霊で仕事に取り組むと言ったらいいのか…。身を削って働くと言うのか…。
仕事に取り組む姿勢は素晴らしいと思いますが、自分を犠牲にするほどの価値とは何か?
自分が、『自分の人生を生きる』とは何なのか?を、自分に問うてみて下さい。
現在仕事で疲弊しているのなら、上記は考えてみる価値が必ずあります‼︎
このタイプは、何に対しても『ホドホド・テキトー』で良い。要点だけ押さえる。
と思える思考がカギとなります。
とても真面目な人(アダルトチルドレンも含め)は、
他人との境界線&物事の線引きが苦手かもしれませんね。
自分と他人の境界とは?→相手との距離感を掴む
余裕はどこ存在する?
主観だけで言えば、余裕の無さは田舎よりも都会のほうが顕著に現れているでしょうか?
そもそも暮らしの文化が違うため、一括りには出来ないと思いますが、
人も車も電車も、何もかもが忙しなく動いています。
新規オープンも、そして廃業も、次から次へと社会活動も流れていくわけですよ。
道を歩くスピードも違うし、クラクションの音もよく聞こえますね。
・電車内や階段でブツかったと言ってトラブルに発展する。
(わざわざこっちに向かってブツかってくるとか。ダメジローも経験あります。)
ストレスなのか、気狂いなのか…。
本来の動物という定義からは外れていますよね?
野生の動物は、生きるために無駄な衝突は避けます。
結果的に、それって自分のリスクになるんで。
※現代社会でも、リスクを理解せずに度を超すと…。
まぁ、都会生まれの都会育ちって一握りなわけで…。
ほとんどの人は、田舎から出てきた人なわけで…。
動物が檻中のストレスでおかしくなっていると表現したらいいのか…。
やはり、ストレス社会は自我を見失いやすいと言ったらいいのか…。
社会の闇に染まる人間もいるくらいなので…。
動物が本能的に持っている、優しさも忘れてしまう環境が存在するのでしょうね。
この場合は、人間としては好ましくない適応能力を発揮していると言えるでしょう。
ちょっと話がズレましたが、
自分を見失えば、余裕も人生も見失うってことですよ。
誰でもそうですが、自分を正しくコントロールしなくてはなりません。
だから、いかなる場面でも自分を築くことがとても重要なの。
そうしないと、周囲や環境に飲み込まれ易くなるからです。
本来は理解しなくてはならないもの、自分にとって重要なものが見えなくなる。
(人間社会で均衡を保つには必要なのだが、ここの義務教育はなぜか抜けているのだ)
単純に忙しい環境、高ストレス環境であれば、普通に自分を見失いやすくなります。
社会に出ればより顕著に現れるし、誰にでも訪れるタイミングが必ずある。
これは環境適応能力がある人間という動物なら、当たり前に起こり得ること。
ただし、その環境に飲み込まれたら、残念ながら本当の自分はいなくなるのだ。
それが善であるのか、悪であるのかも捉え方であり、現代社会では紙一重なんじゃないの?
人間としての芯が弱く、自分を確立できない。
現代社会がそういった人を育んでいると言えばそれまでですが、
社会を恨んでも、結局破滅するのは自分なのです。
残念だが社会に生かされている、人間の末路と言えるでしょうか。
ただし、皆が性格という能力で生きているわけではない。
つまりは、自分を成長させて、自分をコントロールしているのだ。
自分の心に、『ゆとり』という空きスペースを確保している。
コレがこの記事で言いたい、自己を築いた余裕のある人である。
ここで注意するべきポイントがある。
自分の心に余裕があり、自己を築いたならば良いだろう。
しかし、大人としての振る舞いを軸にして、心の余裕を擦り切らしならが
生活しているのであれば長くは持たない。補充はせずに擦り切らすだけ…。
それではいずれ、間違いなく日常に疲弊していくことになる。
余裕の手引き
先に書いた通りですが、自分に『ゆとり』を持たせるために、
どのように自分の生活(人生)を構築していくのか? しかないのだ。
自分が『ゆとり』ある生活を送るために必要な、
①目的を持ち、
②その戦略を立て、
③選択と判断を下し、
それぞれの対応をどのようにしていくのか? となる。
ざっくりと言えば、余裕の反対は逼迫になるわけで。
答えが出てしまっていますが、逼迫が多ければ多いほど、余裕とは縁のない生活となる。
また、その考え方としては『ソフト面とハード面』に分けることができます。
◎ソフト面=精神的な要因が該当。
◎ハード面=物やお金などが該当。
・衣食住に困っていれば、生活に余裕があるはずはないのだ。
・金銭的に困っていれば、もちろん生活に余裕はうまれない。
・多忙を極め、寝る時間や自分の時間もなければ余裕なはずがない。
・通勤であと5分早く、家から出られない人は運転に余裕がない…。
・ストレスを発散する手段や時間がなければ、余裕はうまれにくい…。
上記はアルアルを書きましたが、
ソフト面とハード面は、ご自身で考えてみて下さい。
一般論で言えることは、ハード面が充実しないと、ソフト面も引っ張られます。
なので、ソフト面である精神的に安定を得ることが、余裕を持たせるポイントになる。
これが誰にでも出来る簡単な方法です。
そしてね…、気がついたのなら自分で行動して下さい。
それ以外に自分の生活を変えることはできません…。
親も他人も、貴方の人生の責任はとれませんよ?
まとめ
人は何に対して余裕があるのか?
によって、余裕の現れ方に違いがでるものだ。
お金、時間、自由、物、人間関係などでしょうかね?
『貧乏暇なし』と言う言葉があるが、そんな生活で余裕があるのだろうか?
お金も無く、暇も無い、それで何が残るのか?
しかし、それで精神的な充実感を得られているなら苦ではない。
結局のところ、考え方だと思うんだ。
×満足できない人
・欲しいものを手に入れる。すると、次の新しいものが欲しくなる。物欲が止まらない。
・お金儲けに成功する。すると、もっともっと儲けたくなり、色々を手を出す。金欲が止まらない。
・何かを成し遂げても、達成感を得られない。
なぜ満足できないのか? を考える必要がある。
×過度な心配をする人
・やらなくてはならないことは、100パーセントやるしかない。
・やらなくていいことは、100パーセントやらなくていい。
・物事が上手くいかなかったらどうしよう?
この線引きラインをどのようにコントロールするのか? を考える必要がある。
◎人間社会は外部要因に揺さぶられやすい
・人間と社会の影響はとても大きいので、自分を見失ったら自分ではなくなる。
だからこそ、自分の基礎を築く=能力、教養、自助努力でスキルに繋げる必要がある。
◎生きるために必要な自己肯定感を育む
自分を持っている。
だから周りに流されない。
自分のペースで生きている。
それはそのペースで生きられるように、自分の環境も含めて、
自身をコントロールしているということでもある。
自分の余力を残しているからだ。だから余裕に繋がる。
ここでまとめのまとめ。
人生をより豊かにするには、心の余裕が必要不可欠なのだ。
そしてそれは、常に自分の心のあり方で決まるもの。
余裕のある人生とは、いつも自分の心にあるのだ。
(自分の心が、余裕の有る無しを決めているということさ‼︎)