私は約20年間、大企業に勤めました。
自身の結果にコミットする。
すなわち、自身の仕事の結果に対して責任を取るという強い信念を持っていた。
その甲斐もあり、上司や部下にも信頼を頂ける事が多く順風満帆だった。
ある時、更なるステップアップとして、労働組合の役員を務めることになりました。
会社のトップダウン、組合のボトムアップと、組織の相対関係や社外を学ぶためです。
これは大企業に限った話ではありませんが、組織風土を先に述べると自ら進んで選んだ
道ではありません。表向きは立候補なのですが、現実には強制であり、会社の歯車である
従業員に断る権利などないのです。俗に言う、出世というものも会社によっては強制なのです。
つまり、会社の歯車として責任を負いなさいということだ。
浅い考えで個人の尊重は当たり前だと思っていましたが、現実の会社には存在していません。
これは、日本文化そのものを象徴しているように感じています。
注)世の中の会社は、それぞれ独自の文化を築いています。
全てにおいて完璧な会社が存在するとは考え難く、その逆で全てが不完全なのもあり得ない。
つまりそのような環境(矛盾もある)に対して、自分がその会社を選んでいるということを
忘れてはいけません。どの会社に入ってもメリット・デメリットは必ずあるものです。
家庭内不全というアダルトチルドレンの環境と、何だか同じようなニュアンスじゃないですか?
会社に潜む闇とは?
労働組合の役員というのは、社内でも一握りしかいません。
2年満期(国政と同じで更新あり)の選挙制で、全ての従業員が経験するわけではないのだ。
実際にOBを合わせても、その活動実態を知るのはせいぜい3~5%くらいでしょう。
そしてその世界には、一般従業員では知り得ない特別な活動が存在しています。
また、その特別な活動の恩恵として、自身の視野を広げることも可能になります。
◉社外活動
・政治との繋がり。
市長に県会議員、各市町村の議員などへの選挙応援協力。(国会議員や知事は繋がりによる)
大企業の組織票は町を超える規模であるため、組織内から議員を当選させるなど容易い事です。
連合と言われるような組合であれば、会社から組織内議員を必ず当選させていますね。
ここは政治的に自社を有利にするというよりも、組織力を見せつけているような感じでしょうか。
※まぁ、会社という組織内から出馬する議員も、立候補する人なんていませんよ。
ターゲットにされたら、やるって言うまで永遠と説得される感じでしょうかね。
自ら立候補したんで、強制じゃないって扱いです。ここの受け止めはご想像にお任せします。
選挙というのは投票後、申告すれば投票済書を発行してもらえます。
これはそのまんまで、投票を行ったという証明書になるんですが、労働組合が回収します。
つまり、社会人なんだから社員は全員投票に行け‼︎ そしてその証拠を持ってこいっていう建前さ。
そのようにして、労働組合(連合)の推薦者を推すわけです。この人で頼むよ。みたいな。
選挙中は自分の担当する従業員が、100%の投票率になるようピリピリしていますね。
役員が役所の前に待機していて、誰が投票したか見張っている場合なんかもあります。
やる仕事がズレている気がするのだが、そんな事をやるように上層部から指示がくるんですよ。
とってもクダラナイけど、仕事と割り切ってやってました。
選挙の時って、道端に立候補者のポスター貼ってあるじゃないですか?
あれって、支援団体(支援者)が告示日のスタートと同時に貼ってるんですよ。
代行サービスなんかもありますけど、連合がバックに付いている人はラッキーなんです。
大きな組織がバックにいるので、すごい人数かけて市内を2時間で貼り終わります。しかも無料。
まぁ、無報酬じゃないと選挙法に触れるんで、我々が休暇を取得して奉仕してるんですよね。
大きな組織(組合や団体)がバックに付くととても助かる仕組みになっているんです。
労働組合の役員は、誰も興味も無い口だけ立派な議員候補のためにボランティアしているのさ。笑
また、後ろ盾が付かない政治家も沢山の有効票が欲しいので、大きな組織に近づいていきます。
定期的にニュースで話題にあがってくる宗教団体なんかはそのまんまになります。
政治家は自分は知らなかったとか白を切っていますが、そんなことは100%ありません。
票が欲しいので団体にすがります。基本中の基本ですが、その嘘を立証するのは困難ですよね?
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そんなこともあり、私自身この会社で働く意義を見出せなくなり退職を決意しました。
失うものは肩書きだけ。今の会社にしがみ付いて、この先の人生で得るものはないと判断したのです。
社会のルールなので、会社という肩書きに価値があるのはごもっともだとは思いますが…。
ここは人生において、自分が何を大切にするのか? になるでしょう。
なので、価値観そのものに個人差があるのが普通だと思います。
正しく腐るとは、自分自身を否定することではありません。
自分を肯定して、それに納得することが出来るかどうか? だと思っています。