ダメジロー誕生話



ダメジロー誕生〜現在までの流れを、人生の時系列でご説明させて頂きます。


幼少期

まるで漫画。

絵に描いたような機能不全家庭に産まれて育つ。
(父親のギャンブル依存症により家庭が崩壊していく。父方の祖父はアル中)
今思えば、パチンコ屋に一緒について行っていた記憶があります。
今思えば、自分の家に人が集まって、麻雀賭博をやっていた記憶もある。
もちろん、私のおもちゃは『ドンジャラ』

日常的に金銭の余裕が無い母親から、何をやってもダメな子供と罵られて暮らす。
長男は何でもできるが、次男は何をやってもダメ。
お前は何をやってもダメだ。
ダメダメな次男→ダメジロー誕生‼︎

親の期待に応えられない、認められない、ダメジロー。
そのため親からは、言われた事以外はやるな‼︎と罵られる子供だった。
母親は言う事を聞かせる手段として、日常的に暴力を利用していた。
口で言って分からないなら、叩くしかないと…。
親の価値観で悪い事をすると、空気椅子の刑が待っています。
まだ子供であったが、大人としての振る舞いを要求されていた思う。
→子供のダメジローには無理でしょ?

その光景を見て育った兄も、弱者に言う事を聞かせるには暴力が必要と認識したようだ。
その後のダメジローは悲惨だ。兄弟喧嘩は基本的にフルボッコの刑になる。
金属製の懐中電灯で頭を殴られた時、少し陥没した。(今でも陥没したままだ)
→先に兄を殺さないと、いずれ自分が殺されてしまうと本気で考えるようになる。

又、母親によく言われていたのが、【お前は河原に捨てられていた子供。橋の下でダンボール箱に
入っていて、可哀想だから連れて帰った】のだと。連れて帰ってやったのだと…。
これは幼ながらに衝撃的だった。


又、小学1年の時。
親と教師の2者面談の日。
ダメジロー:今日は先生と話があるようだから、母親の帰りが遅くなりそうだな?
ダメジロー:母親も色々と忙しいだろうな。よし、今日はダメジローがご飯を炊いておこう‼︎
そして母親帰宅…。
ダメジロー:ご飯炊いておいたよ‼︎
母親:第一声、今日は先生に色々言われるから、お前はゴマすって待ってたんだろ?
ダメジローガビーン‼︎(音が少し変ですが、ガラスのハートが割れた音です)

 これも昔あるあるかも知れないが、玄関の鍵を閉められて家に入れない事もあった。…トホホ。
こんなんで、幼少期のトラウマが蓄積されていくんだよな。

10歳の時、父親が借金返済のため転職することになり田舎から都会へ引っ越す。
(家庭の歯車が更にズレ始める)
→給料は借金返済ではなく、お馬さんのギャンブルに注ぎ込んでいる事が後に発覚。
母親の祖父から、借金返済に使えと頂いた100万円も御馬様へ奉納。
それを知った祖母は包丁を手にしていた記憶がある…。
闇金から借りまくった金を自転車操業しており、新規闇金からの支払い催促が
どんどん厳しくなってくいく。
田舎なまりも直ぐに取れなかったため、学校ではイジメにあう。勿論、着ていく服は毎日同じ。

学校から帰ったら、父親の嗜好品である酒とタバコを買いに行くのがダメジローの仕事だった。
借金取りからの電話→ダメジローが対応するのが仕事。
→母親から居ないと言え‼︎と指示される。
借金取りが訪問→もちろんダメジローの仕事。
→勿論、親は居ない‼︎と言う。

この時はまだ、ダメジローはこの家族に拾って頂いて、生かしてもらっているんだから、今度はダメジローが頑張る番だと思っていた

この家族に捨てられたら生きていけないと、子供ながらに理解していた。
食うにも困っていたし、本当に貧乏だった。
食卓の上にある、一切れの鯖の塩焼きは一体誰のものだろう?
兄のだったらどうしよう?
食べたいけど、食べれない…。
毎日、罵声の飛び交う家庭。家庭内の居心地の悪さに、とうとうピエロが加入する。
大人の喧嘩とはいえ両親である。理由がどうあれ、どちらが正しいとは選べないのだ。

10歳で安らぎを求めるようになり、一人で、よく海へ行っていた。
なぜ自分はこの家に生まれたのだろう?ぼ〜っとしながら、
自分は前世で、どれだけの罪を犯したのだろうか?と、よく考えていたと思う。


思春期


13歳になり中学に通い出したが、またもや転校。(家庭の歯車がついに崩壊)
父親と別居し、母親の実家へ行く事になるが、憎き奴の子供という扱いをしばらく受ける。
その後、実家の祖母と母兄妹の婿との対立により、またもや居心地が急激に悪化。

そして、毎日が罵声の嵐。思春期にこの環境はキツかった。居場所が無かった。
おかげで友達を家に呼んだ事は一度もなく、土日や夏休みなどはバイトという嘘で、
友達の家によく行っていた。夜中まで夢中になって遊ぶテレビゲームは楽しかった。
→群れるのが楽しい時期なので、友達も帰れとは言わない。でも、家の事は言えなかった…。

この頃になると、母親も被害者だから可哀想なんだ…。そのように認識していたと思う。

どうしても行き場所がない時、海が無かったので、今度は川へと居場所を移動する。
友達の家は幸せそうだし、色んな意味で、自分は惨めで哀れな人間と思うようになった。
友達はよく、家に彼女を呼んでいた。少しの自慢話を入れさせて頂くと、こんなダメジローでも
そこそこモテたんです。でも、家庭の問題があり、家を見られたくない、家族を見られたくない
との思いがあり、青春は諦めました…。泣

ご老人から、まだ若いのにしっかりしてると言われる事がよくあった。
ただの挨拶や、その場の空気感だけの話しかしか記憶はないが、
こんな落ちこぼれを、世間はしっかり者と言うのか?と疑問だった。

確かに、空気を読む力はあった。
相手の目を見れば、本当に全てを理解するくらいだったと思う。
その人が求めている言葉を理解するのは、当時は簡単な事だった。
(それだけ人間を警戒していたのだと思う)

この世は絶望で出来ている。そう思えた。
しかし、毎日がどんなに辛く苦しいものでも、時は流れていくものだ…。


やっと社会人、スタートダッシュだぜ‼︎


そんなこんなで、なんとか無事に高校を卒業するところまできた。
兄は祖父の支援で専門学校に通っていたが、ダメジローはお金が無いので就職するよう言われた。
何でダメジローだけ?との悔しさもあったが、それはこの家から出られるチャンスでもあった。

地元に残って欲しい…。祖父はそう言った。
でも、この家から遠くへ離れなくてはならない。ダメジローは理解していた。
やっと、この時がきた。
春はあけぼの〜。長くて辛い冬が終わる。やっと終わりが来るんだ!

この地獄から抜け出す‼︎自分で人生を切り開く‼︎と希望を胸に家を出る。
これで、ついにこの家庭(家)とはおさらばだ‼︎

20年経った今でも覚えている。
旅立ちの朝、祖父が20万くれた。これで給料が出るまで頑張れと。
祖父は少し申し訳なさそうな顔をしていた。まるで、北の国からのワンシーン。笑
母方の祖父は良い人だった。真面目で口数が少なく、地域でも信頼のある人だった。
期待を裏切る事については気が引けていたが、家から出られる喜びをダメジローは
抑える事ができず、胸の鼓動は高まっていた。
この時点で、ダメジローは自分の明るい未来しか見えていなかった…。



ついに、内に秘めたヒーローが起動


機能不全家庭から、社会へ飛び出す事は決して甘くはなかった。
ダメジローは氷河期世代である。

現実社会はとても辛く、厳しいものだった…。
学校では勉強を教わったが、家では揉め事しか教わっていない。
家と社会のギャップは世間知らず者には大き過ぎたのだ。

生きるために、言われた事だけやる‼︎と学習したダメジロー。

会社では無能な粗大ゴミだった。


新たなスタート地点に立ったばかり。頼る人もいない。このままでは生きていけない‼︎
こうなったら、全て自分の力で何とかするしかない。全ての結果は自分の責任だ‼︎
やるしかないダメジロー。生きるためにヤレェー‼︎そんな自己暗示もあり、

19歳でスーパーヒーローに変態する。

のだが早速、どうしても欲しくて買った車を早々と潰す。→借金300万だけが残る…。
兄は専門学校を卒業し、一年も経たずに仕事を辞めてプータローになった。
そんな兄からの金の無心をポツポツくらう。

又、社会人という事で父親からの金貸して‼︎が続く。…って、気づけばもう25歳?
→このままでは自分がダメになると、闇金の弁護士を探して借金を完済させる。

ポンコツ一族の尻拭いと、日々の仕事をバリバリこなし、他の同期よりも早く出世していく。
ヒーローにとって自己犠牲は習慣。なので仕事はできる。その分、疲弊していくのだが…。
悪いことにピエロの残骸が自分を殺してしまうため、厳しい社会で消耗を継続。

出世すれば給料は増える。社会的地位も約束される。肩書きから世の信頼度も上がる‼︎
けど、そのぶん弊害も発生する。責任から来る重圧というプレッシャーが尋常じゃない。
ダメジローは新卒というゴールデンカードを利用し、東証一部の大企業に就職した。
今は中小企業でお世話になっている。それでその差が判るのだが尋常ではない。
1日に6時間を確保するのが、とても困難な状態なのだ。(寝る時間ね)
※ただ寝る時間が無いのと、疲労困憊の寝る時間では天と地の差がある。
唇の皮は全て剥け、血圧は上昇したままとなり、逆に寝られなくなります。

自分の生活だけでも疲弊しているのに、まだ一族はダメジローの足を引っ張り続ける。
その後もヒーローとして活躍を続けるが、一族のトラブル対処中に放った毒親の一言で、
とうとうダメジローが我に返ってキレる‼︎


その後、普段はテキトー人・たまにヒーロー


人生って本当に、色々あるもんだ…。
しかしチャンスは皆、平等にあるんだと少し解った気がする。置かれた環境がどうあれ、
自分の経験をどれだけ前向きに、自分のプラスに活かすよう吸収できるか?
ではないだろうか。個性=その人だから変わらない部分もある。

でも、その他の自分が変えられる所だけを変えれば全体のバランスを補う事はできる。

運の良い事に、ダメジローに自爆という思考は無かった。
それが、私なりの生きづらさとの向き合い方、私の生き方なのかも。




※当サイトは、全面的にダメジローの経験と考え方を発信しております。
特にこの考え方については、正しいとも・正しくないとも言えます。
結果的に、ダメジローにとっては正しかったと、ダメジローが思っているだけです。
個人の見解である事から、以前に読んだ本と違う。専門家のアドバイスと違う。
上記のような事があると思います。あくまで、あなたにとって、一つの糧として下さい。

タイトルとURLをコピーしました